Vol.560

西暦六六三年の白村江の敗戦から、六七二年の壬申の乱まで、九年。西暦一九四五年の対米敗戦から、今年で七十二年。天武天皇が勝利した壬申の乱を、このクニの正史は、反乱であると伝えています。ここに、絶対的なヒントがあることに気づいた日本人は、白村江の敗戦の後に、九州から瀬戸内海沿岸につくられた百済式つまり半島形の城砦の意味を、マッカーサーの進駐軍に重ねて考えることができるようになります。
天智天皇の時代と、天武天皇の時代の対唐外交を調べてみれば、強大な唐に従ったように見える天智と、唐が弱体化したタイミングで乱を起こした天武の差が、はっきりわかるはずです。
この天武の出現後に、正史としての日本書紀と、日本語の歴史書である古事記が生まれるのですが、そこに置かれているのは、大陸の皇帝とは、まったく別の天皇という日本オリジナルの正統な統治者の系譜です。そのルーツを、紀元前六六十年に置き、万世一系の天皇の歴史を語りながら、天武天皇の行動を、乱と記述しているということは、この乱なしに、古事記も日本書紀も生まれようがなかったことを示し、後世の人間が、日本国成立の秘密を理解できるように、あえて、そう記述したともいえるのです。
私は、すでに「記紀は時空の設計図」という対談をしていて、その電子書籍が間もなく刊行される予定ですが、そこでは、時期尚早として、語ることを避けたテーマが、この天武の乱でした。
人知の側の知識として、神武の東征という物語は、天武の壬申の乱の行動をモデルにしているというものがあります。私の知る神知の側の知識として、重要な物語はくり返されるというものがあります。
そこで、壬申の乱は、マッカーサーに占領された経験をしなければ、読みとけないものだという私なりの解釈が人知の側に提供されることになります。
現在の日本国は、白村江の敗戦後に生まれた従唐政権とほぼ同様の状況にあると考えてみてください。いまの日本国は、従米政権ですが、このまま、たとえば北朝鮮の核ミサイルの危機を除去できない状況が続けば、アメリカ帝国の衰退は、国際的にも自明のこととなり、別の政治的選択の余地が生まれます。
従米をこのまま続けるのか、一部の勢力が期待している従中路線への転換をはかるのか、それとも、日の本として自立するのかということになるのでしょうが、このまま、事態が進行すると、日本国は、「乱」という歴史上、二度目の体験をする可能性が高まります。
このリスクに直面した日本国を、誰がどのように導くのかについて、考えはじめるタイミングがきています。残念ながら、現在のマスメディアや言論界において、そのようなテーマが語られる可能性は少ないでしょうが、明治のシステムで、陸海軍という二つの省と国家警察を担った内務省は解体されましたが、旧大蔵省と外務省は、マッカーサー統治下におけるアメリカの代理人として、その権力を温存されたことを忘れてはなりません。
世界の国民国家の常識として、いちばん国民から嫌われるのは、「売国奴」と呼ばれる人間であるということをいまの日本は、忘れています。アテネの時代から、民主主義は、売国奴を敵としてきたのです。この西洋の民主主義の伝統を、もし日本国が継承するとするなら、この国の精神文化において、千三百年以上前に乱を実行した記憶を呼び起こさなければならないのではないか、といまの私は考えています。それほどまでに、いまこのクニには売国勢力としかいいようのない人間グループが溢れています。
彼らが、いまの政権を倒した後に生まれるのは、そうした歴史上、二度目の乱の状況だと、私は考えています。敗戦後、七十二年目の夏は、いままでの夏とは違うものとなるのかもしれません。

二千十七年八月三日 積哲夫 記