Vol.552

戦後日本の大掃除

この二千十七年の六月に入って、一神教由来の悪魔との最終戦の舞台が、これまで私がくり返しお伝えしてきたように、ひとりひとりの日本人の小宇宙であることがはっきりする事象が相次いでいます。とくに、象徴的なのは、精神学協会の会員のひとりに、すでに亡くなっているスピリチュアル系の経営コンサルタントをなさっていた方の病気のもとをつくり出した悪魔的意識体が、入っていることが、私の意識上へと浮上してきた点です。
スピリチュアルなデータを、マネーに結びつけたいという願いを強く持った人間グループは、どんな時代にもいましたが、それで一時的には成功しても、人生の終わりまでには、強烈なしっぺ返しを受けるのが常でした。
今回のことではっきりしたのは、その高名なコンサルタントの方の信奉者が思うような、ある種の天命をまっとうしての死ではなかったらしい、ということです。
人間の欲というものの、やっかいさを、これからの日本人は、ハリウッド映画の悪魔ものを見るように、現実の生活のなかに見なければならないのかもしれません。
普通の人間は、悪魔と話すことは厳禁されています。精神学を学んだ人間のなかで、ほぼ現世の欲とは無縁になった人間が、悪魔祓いをする場合には、コンタクトできますが、認識できるのは、こちらの浄化力の及ぶ範囲に限られます。さらに、悪魔の話は、すべて嘘または、トラップなので信じることはできませんが、その背後には、精神界の法則があります。
これらを総合して、どこから悪魔がその人間の小宇宙のなかに座を得たのかが、わかるようになるのですが、ほとんどの場合、悪魔は、その人間には真の信仰がないから入れた、または、契約できたのだと主張します。
いま生きている、ほとんどの日本人は、真の意味での信じて仰ぎ見るべき神の世界を想定することなく、スピリチュアルなパワーを味方にして人生を楽に生きることを求めているというわけです。この一神教由来の悪魔には、日本の古来からある神道も、仏教も、戦前から戦後にかけて生まれた多くの新興宗教も、対抗することはできないのです。そして、その悪魔的意識体は、あらゆるネットワークで、日本人の小宇宙に自分たちの居場所をつくり続けています。そのためには、マネーへの願望だけでなく、食文化も、政治・経済の情報も、すべてコントロールするという、明確な意志があります。これを実行するのは、人間なのです。自分が悪魔教の信者であるという自覚を持つものは、ごくごく少数のはずですが、そうしたパワーエリートの下で、自分を支配し操作しているのは悪魔だと気付かずに、彼らに奉仕している人間が無数にいるわけです。
精神界の予告で、人間はふたつに分けられるというのは、このことを指しています。
敗戦後の七十数年で、この日本の人間のたましいの構成比は、どんどん悪化して、世界の標準に近づきつつあります。
アメリカやヨーロッパ諸国のような支配階級と被支配階級がはっきり分かれている社会では、これがもともとの姿ですが、おおみこころとおおみたからの関係の日本では耐え難い緊張が生まれます。
その先にあるのは、日本文明の崩壊にほかなりませんが、それもまた仕組みと精神界は伝達しています。
私は古事記や日本書紀は、時空の設計図だという精神界の情報をお伝えしていますが、イエスの十字架からの二千年の歴史を、スサノヲが地に降りてつくったウシハク文明だと理解するために、明治百五十年の時間が必要だったのです。そして、このタイミングで、日本を属州としたアメリカ帝国は、かつてのローマ帝国のように衰退に向かおうとしています。現在のアメリカ大統領が、一部の日本人の期待するような反グローバリストであるとしても、いまのアメリカ文明の潜在力で、この衰退の流れを止めるようなパラダイムに変化をもたらす人間の創造力は生まれようがありません。もし、その道があるとしたら、アメリカ文明そのものの悔い改めなのです。
そうしたアメリカの没落の前に、日本人の多くが、悔い改めなければ、生きていけない、または、地獄に落ちることが決定している状況にあることに、これから徐々に気づかざるを得ない試練に、これから向き合わされることになります。
これから、自分が生きるためだけにマネーや権力を求めるものたちは、悪魔にすみかを提供し、悪魔の用意する病にかかり、死を怖れながら死んでいくという運命が待っているのです。ほとんどの団塊の世代の未来がそこにあります。

二千十七年六月八日 積哲夫 記