#64 戊辰戦争から百五十年。

本来、知的好奇心を十分に発揮して、考えることが得意なはずの日本語脳が、明治維新から百五十年、きちんと開花せず、とくに戦後は感情を揺さぶられることによって、何者かに誘導されたままになっていることに、危機感をもちます。

私の周囲でも、現政権に関する話をしていても、論理的に考えて同意できていることすら、まわりまわって最後には「でも、なんか、やっぱり、感情的にイヤ!なんか許せない」というような結論に至る、という奇妙な現象が多くあります。

沖縄県では、「オール沖縄」といって、米軍基地の辺野古移転や軍用地を縮小するためのヘリパッド建設に反対する「市民」(プロ市民が活動の中心)運動が展開されてきました。
沖縄タイムス、琉球新報の取材によって、提携する大手メディアから全国に伝えられる状況が広がるにつれて、「オール沖縄」に賛同する人は増えるかと思いきや、我那覇真子さんたちの弛まぬ努力の甲斐もあり、インターネット空間では映像も伴って打ち消されていきました。
実際に行われていることの周知には圧倒的な力があります。
そのため、沖縄二誌よりもむしろバランス感覚を持った良心的新聞といえる八重山日報への評価が高まり、日本全体に支援者を獲得するという動きにもなっています。

我那覇さんや依田啓示さんは、国連人権理事会に出向いて発言をしたり、日々情報を発信して、真摯で誠実な活動をされています。
日本に住む華僑や在日韓国人ネットワーク、サヨク活動家や沖縄タイムス、琉球新報など、莫大な資金と集票とメディアの力が注ぎ込まれて生まれた翁長県知事の県政。政府との違和感の多いやりとりや、龍柱という中国の朝貢国を示すシンボルを那覇空港近くの公園に県費の支援を受けて立てた(後に反対意見が出て返却)ことなどで、次第に馬脚を現す結果となっています。それは石垣島、浦添、名護と、選挙結果に如実にあらわれています。

沖縄県民が目覚めようとしているなか、国政の場では「オールジャパン」とでもいうのか、テレビや新聞を中心としたオールドメディア、人権団体などの左翼活動家、野党ばかりか、文科省や財務省、外務省などの官僚、自民党の中にも多く含まれる、行き過ぎた親中、親韓、親米の国会議員たち、グローバリストも交えて、日本を愛する国民たちに反して、結果的には移民推進、日本の貧困化促進、古典を無視して日本語教育よりも英語教育を重視していくというおかしな状態を迎えています。

大東亜戦争の終結を知らず、ルバング島のジャングルで、戦後三十年にもわたって戦い続けていた小野田寛郎(おのだ ひろお)さんという方がいらっしゃいます。
戦後三十年当時、終戦を知り、敵の軍事基地に投降し、日本に戻ったとき、靖國に眠る同胞への日本政府の対応にも、日本社会の軽佻浮薄な雰囲気にも憤り、日本から生活の場をブラジルに移され、牧場を始め、十年目には軌道に乗せてやがて日本に戻り、日本の子供たちへのはたらきかけを始めます。「自然と人間の共生」をテーマに、子供たちのキャンプ(小野田自然塾)を開きました。小野田さんは、ルバング島で生き残ることを命令されたまま、ジャングルで三十年も暮らすわけですが、自然の中で感じたのは人間の弱さと社会や国の恩恵だったそうです。

「ルバング島 戦後三十年の戦いと靖国神社への思い」という小冊子があります。小野田さんの著作で明成社の発行です。
伝えたいことがおありだったようですので、少し引用します。

「心ならずも戦死された」というのは英霊に対する侮辱であるとして、

—————————– ここから引用

 靖國の英霊に対して「心ならずも戦死された(本当は戦争に行きたくなかったのに戦争で死んでしまった)」と言う人がいます。しかし、これほど英霊を侮辱した言葉はありません。
 読者の皆さんの中には特攻隊の方々の遺書をご覧になった方がいらっしゃるでしょうか。特攻隊の遺書には、「心ならずも(本当は行きたくなかったのに)」なんて書いてありません。私も当時、特攻隊の方々とほとんど同年齢でありました。私がもし当時戦死していて、「心ならずも死んだ」と言われたら、侮辱されていると思って怒ります。
 当時の私たちは、死ということに拘泥しない、深く考えない、死んだら神様だと、そういう考え方をしていました。何故かといいますと、戦争には若い者が先頭に立たなければ国の将来がないということをはっきり考えていたからです。

—————————– 引用ここまで

とあり、好きで兵隊になったわけではなくとも、多くの人間は国のために死ぬ覚悟を持っていたこと、戦争に負けた後、戦後の教育で洗脳され、本当の日本人の気持ちを理解できなくなった人がそういうことを言うのだと思うと書かれています。

そして、「死んだら神さまになって会おう」と約束した場所は靖國神社以外にはないと、明言されています。
そのお気持ちを思うとき、靖國神社は、もっと大切にされてほしい場所だと思いませんか。

また、「目的のために全力を尽くせば道は開ける」として、以下のことが記されていました。

—————————– ここから引用

 皆さんに私が今お伝えしたいのは、靖國に祀られた方々が、先ほどお話したように、決して「心ならずも」戦場に駆り出されて亡くなったのではないということ。そしてまた、皆さんはこの国をずっと守ってきた先祖さまの孫であり、ひ孫であるということです。戦に負けたからといって戦前の日本を誹謗し、悪者扱いにすることは、自分はその悪者、馬鹿の子孫だと認めることです。戦後の日本人は外国にすぐぺこぺこ謝りますが、そういう自信のない人間になってほしくないということです。
 皆さんには、明治以降の日本の正しい歴史を知っていただきたいと思っています。そこからさらに進めて、古代からの日本の歴史というものを学んでいただければ、われわれの祖先がいかに優秀であったか、また、どれほど努力してこの国を守ってきたか、ということがもっとはっきりわかると思います。そうすれば自分に自信が持てるようになります。

—————————– 引用ここまで

小野田さんも、日本人が誇りを持って生きるには、正しい歴史を知ることが必須だとお考えになっていたのだなぁ、と思います。

前回、友人が教えてくれた連載記事のことを書きました。
それは、以下の連載です。一つひとつは、そう長くないので、ぜひご一読ください、参考になります。

—————————–

<戊辰戦争150年>論考・維新と東北

(1)「官名乗る賊徒に従わず」
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180321_63022.html  

(2)新政府に国の青写真なし
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180322_63027.html  

(3)京都守護職を辞退できず
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180323_63003.html  

(4)孝明天皇崩御一転「賊」に
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180324_65004.html  

(5)天皇を抱き込み権力掌握
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180325_63007.html  

(6)朝敵は征伐 見せしめ徹底
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180326_65003.html  

(7)白河口の大敗 軍内に亀裂
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180327_63007.html  

(8)仙台藩 人質手放す大失態
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180328_63004.html  

(9)強い大藩意識 同盟を主導
  http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180329_73045.html  

(10完)「辺境」イメージ 決定的に
  https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180330_63003.html  

—————————–

受験には教科書どおりの歴史解釈が必要かもしれませんが、歴史教科書に書かれていることが正しいと、むやみに信じ切らないほうが良いということを誰かが教える必要があるのではないでしょうか。

理数系の教材との大きな違いがあります。

歴史大河ドラマは、ドラマとして楽しむ分には問題ないですが、時代考証はしていても、日本国の歴史教科書に間違いが数多くあることからもわかるように、史実とは異なることも多いので、その点にも、十分気をつけなければなりません。

平成三十年四月二十日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ
協力 白澤 秀樹