#59  やまとごころとさくら花

「 しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花 」  本居宣長

有名なこの歌は、靖國神社遊就館でも、最初の部屋に大きく掲げられています。
日本、やまとごころをあらわす和歌として、すばらしいと思います。

本居宣長記念館によると、

—————————– ここから、引用
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/shikishimanouta.html

 この歌は、宣長の六十一歳自画自賛像に賛として書かれています。

 賛の全文は、
   「これは宣長六十一寛政の二とせといふ年の秋八月に
    てづからうつしたるおのがゝたなり
    筆のついでに、
    しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
 です。

 歌は、画像でお前の姿形はわかったが、では心について尋ねたい、
 と言う質問があったことを想定しています。

 宣長は答えます。
   「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、
    その麗しさに感動する、そのような心です。」

 つまり一般論としての「大和心」を述べたのではなく、
 どこまでも宣長自身の心なのです。

—————————– 引用、ここまで

山桜がとてもお好きだったようで、四十四歳の頃の自画像には、正座して机に向かう姿の前に、花瓶に挿した山桜が置かれています。
机には本が広げられ、脇には数冊の本が積み重ねられ、宣長を象徴する文物で埋め尽くされた自賛像に、賛として、

  「めつらしき こまもろこしの 花よりも あかぬいろ香は 桜なりけり、
   こは宣長四十四のとしの春みつから此かたを物すとて
   かゝみに見えぬ 心の影をもうつせるうたそ」

とあります。

本居宣長の本業は、医者です。
松阪の木綿商の子として生まれた宣長は、十一歳で父と死別します。二十三歳から五年半、京都で儒学、医書、医術を学び帰郷して開業、七十二歳で没するまで漢方医(主に内科・小児科)として働き、生計を立てました。

やまとごころ。
日本らしい風景、というと、桜に富士山が最初に上がってくるかと思います。

平安時代には、「花」といえば「梅」であったようですが、いつからか、代表的な花は桜に変わっていきました。
昔の桜は、山桜が主でしたから、梅のほうが身近であったかと思います。

今年も一般公開されるという、皇居の乾通り(平成三十年三月二十四日~四月一日)や、靖國神社、千鳥が淵、上野公園など、東京の名所に植えられている桜は、交配種の「ソメイヨシノ」で、桜吹雪の散り際がまた美しい桜です。

その、散り際の潔さが、特攻などに結びついて、悲しい面もありますが、関東では寒桜からソメイヨシノ、そして八重桜へと、桜の美しい時期がしばらく続きます。

日本では一般的に四月が新学期の始まりであり、行政、社会人の年度区切りですが、卒業式、入社式、入学式と、その年によって当たりはずれはあっても、この時期に咲く桜が付き添い祝ってくれます。

やまとごころ、日本のこころを大事にしていくということと、左翼思想とは、直接何の関係もないはずですが、共産主義が「国家存在を否定する思想」であるとすれば、式典や大事な催しの時に国旗を掲げ、国歌を歌うことに反抗的なのは自然なことかもしれません。

その左翼思想を持つ方々が、戦後の教育界にたくさん送り込まれました。また、大学の教官などは、海外留学と同時に一神教的な思想を叩き込まれながら、GHQの意向に反しない教育指導を実施してきました。
戦後教育を受けていれば、みな、多かれ少なかれその影響下で教えを受けていることになります。

日本らしさ、というものが、少しずつ形骸化しているように思えるのは、さまざまなところで、背景となる思想が正しく伝え、教えられていないということからくるのではないか、と思います。
途切れたものは掘り起こして繋ぎ直し、蘇らせればよいのです。

文化というと、何よりも大事なのは、形を生み出す背景となっている「心」の部分の継承だと思いますが、「道」とつくさまざまな文化でさえ、楽しいイベントや競技としての部分がほとんどになっていることに考えを巡らせると、この先は意図していかないと、やまとごころの継承はどんどん難しくなってくるのだと感じます。

日本の真髄は、人のなかにある、と私は考えます。
アメリカの次は中国のATMになるのか?と懸念されつつある今の日本。

ひのもとの芯となる部分を掘り起こし、蘇らせることが、いまなら間に合うと確信しています。

やまと、という言葉の響きも手伝ってか、稲作の豊かな「瑞穂の国」ということからか、私はずっと日本は国土の小さい国と思って育ちました。

本来ならば、「地政学」というジャンルで習うべきところを、日本ではGHQの方針により、戦後、「地理」だけが復活したので、一般には地政学を習わずに育った人がほとんどだと思います。
しかし、地政学的に見れば、日本は中国が海に出るには「蓋」のようなところに位置していると知れますし、世界でも大きい領海をもつ大きな国で、だからこその海洋国家、「シーパワー」の強い国だったのだとすぐにわかります。

日本のような海洋国家と、中国、ロシア、ドイツ、フランスのような陸地中心の国家とでは、外国との付き合い方や戦略、考え方が、それだけでも大きく変わります。

これからの日本人の育成には、地政学や正しい歴史は欠かせません。
正しい日本語や、言葉の力についても、そうです。
知ることは担うこと、でもありますが、知ることは楽しいことです。
本来ならば、義務教育できちんと受けてしかるべきところですが、改正されるまで待ってはいられません。

習わなかった私たちは、自力で学んでいかなければならないと思います。
きちんと知らないと、正しい判断はできません。
老いも若きも、ともに、知ることからです。

楽しいことも、豊かな社会も、すばらしいことですが、歴史ある日本という国に生まれ、世にも希な優秀な言語といえる日本語環境で育っている私たちは、もう少し広く長い範囲でものを見、知り、考えたいものです。

最近は、光文書の既発表分を、集中的に読み直しています。

不思議なことですが、光文書に集中して没入したときの楽しさは、いま世の中に出ている他の本では到底得られない、圧倒的なものがあります。
愉悦に浸ると同時に、思索のあちらこちらが刺激され、今はまだ言葉に置き換えられない多くのアイディアが泉のように湧き出します。

それを思うと、より一層、他の本を読んでいる場合じゃないのではないか・・・と感じるこのごろです。
皆さんもぜひ、じっくりしっかり読み返してみてください。

既出分は、電子書籍のみですが、こちらにあります。
  http://www.seki-publishing.com/seki_pub/e-books.html  

私が今読んでいるのは、まだここに出てきていない部分(二〇一四年ごろのもの)ですが、いずれ電子書籍で公開されていくものと思います。
 

平成三十年三月十六日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ