#52  いま、言葉のちからを考える ~その1 

「うた」(和歌、詩、唄、歌・・・)は時代と共にあります。

古の時代はもちろん「和歌」でした。

特攻隊のみなさんが、すばらしい和歌を「辞世」として三十一文字(みそひともじ)に魂をこめることができたのは、当時の知的レベルの高さもさることながら、日ごろから「和歌」に親しんでおられた、という時代背景があります。
戦争の現場に残された書物で、もっとも多かったのが「万葉集」であったといわれています。

「和歌」は大和言葉として読むときは「やまとうた」。
宮中歌会始でおなじみの披講(ひこう)でも、伝統的に懐紙に「和歌」とあれば、京ことばの発音で「やまとうた」と読みます。
今の子供たちは、百人一首大会や、特別な趣味・興味でもなければ、なかなか和歌の読み上げに接する機会は日常にないかもしれません。

私が大好きな歌には、万葉集から歌詞をとっている「海ゆかば」から、現代語の「アンパンマンのマーチ」までいろいろありますが、「海ゆかば」は以前ご紹介しましたので、今回「アンパンマンのマーチ」の歌詞にまつわる話をご紹介したいと思います。

ちなみに、「海ゆかば」の記事は、こちら( Vol.4 見つけた宝物。)です。

アンパンのマーチ   作詞 やなせたかし 作曲 三木たかし

  そうだ! 嬉しいんだ 生きるよろこび
  たとえ 胸の傷が痛んでも

  なんのために生まれて
  なにをして生きるのか
  答えられないなんて そんなのは嫌だ!

  今を生きる ことで
  熱いこころ 燃える
  だから 君は いくんだ 微笑んで

  そうだ! 嬉しいんだ 生きるよろこび
  たとえ 胸の傷が痛んでも

  ああ アンパンマン 優しい君は
  いけ! みんなの夢 守るため

  なにが君の幸せ
  なにをしてよろこぶ
  わからないまま 終わる  そんなのは嫌だ!

  忘れないで 夢を
  こぼさないで 涙
  だから 君は 飛ぶんだ どこまでも

  そうだ! 恐れないで みんなの為に
  愛と 勇気だけが ともだちさ

  ああ アンパンマン 優しい君は
  いけ! みんなの夢 守るため

  時は 早く 過ぎる
  光る 星は 消える
  だから 君は いくんだ 微笑んで

  そうだ! 嬉しいんだ 生きるよろこび
  たとえ どんな敵が 相手でも

  ああ アンパンマン 優しい君は
  いけ! みんなの夢 守るため

やなせたかしさんは、二〇一三年の秋、九十四歳でこの世を去りました。
この「アンパンマンのマーチ」は、海軍特攻隊で弟さんを失ったやなせさんだからこそ、書けた詩だと思います。
そうと知って読むと、この歌詞の深さが感じられます。 とても心に響く、すばらしい歌詞です。
私は好きで、何気ないときに、よく口ずさんだりしていました。

愛、勇気、献身、どれも深いテーマで、それぞれが絡み合っています。

お若い頃、三越百貨店の宣伝部に勤務されていた時代、包装紙のロゴを描いたのがやなせさんでした。
その後マンガ家をめざすためにフリーランスになって、自分を励ますためにも、と書いた歌が、「手のひらを太陽に」でした。宮城まり子さんの司会で、テスト的に始まっていたモーニングショーの構成を頼まれていたときのことで、作曲をいずみたくさんにお願いしたそうです。

「手のひらを太陽に」は、私が小学生の頃、音楽の教科書に載っていて、みんなで歌ったことを今も覚えています。

アンパンマンは、やなせさんが大人向けの話から子供向けに変えたり、キャラクターを工夫するなど試行錯誤の末に、五十代で絵本にし、六十代でヒットしたお話です。
世界で一番弱いヒーローだといいます。

それと、お話に出てくるキャラクターは合計二千くらい存在するのですが、代表的な「ばいきんまん」は、悪だけどどこか憎めない存在で、善良なキャラクターたちも、それぞれ弱点があり、光と闇を併せ持つ存在として描かれています。
やなせさんが天に召されてまもなく発刊された本が、本棚に積んであったので、今回取り出してみました。

   『わたしが正義について語るなら』
   やなせたかし著  ポプラ新書  七百八十円+税

ある意味で、戦争体験者であるやなせさん世代は、日本が大東亜戦争に進んでいく時代の歴史証言者でもあります。
この本の中には、以下のような記述がありました。

—————————– 引用 ここから

   ぼくが子どもの頃は、天皇は神様である、天皇のために正義を尽くし、日本を愛し
   なさいと教えられてきました。子どもですから、先生が言えばその通りだろう、
   それが正しいのだと思っていました。
   二十一歳で戦争に行った当時は「天に代わりて不義を討つ」と歌う軍歌がありまし
   た。「この戦争は聖戦だ」と勇ましく歌う歌です。ぼくも兵隊になった時は、日本は
   中国を助けなくてはいけない、正義のために戦うのだと思って戦争に行ったのです。
   
   でも聖戦だと思って行った戦争だって、立場を変えてみればどうでしょう。
   中国の側から見れば侵略してくる日本は悪魔にしか見えません。
   そうして日本が戦争に負け、すべてが終わると日本の社会はガラッと変化しました。

   それまでの軍国主義から民主主義へ。それまでは天皇が神様だと言っていたのに、
   急にみんな平等だ、民主主義だと言われるようになりました。

—————————– 引用、ここまで

そして、

   正義はある日突然逆転する。
   逆転しない正義は献身と愛です。

とあり、目の前に飢えている人がいれば、一切れのパンを差し出すこと、と続きます。

明治維新当時から、天皇現人神説をもって、戦争に向けて歪んだ「正義」を作り出し、誘導していった人たち、メディアは、確かにありました。
また、「中国を侵略しようとした」という間違いも、GHQによるWGIPにより、事実に基づき反論してはいけない時代がありました。
その結果が、上記のような意見に繋がったのだと私は認識しています。

伝統的に権力と無縁であられる天皇陛下は、京都御所のつくりをみてもわかるように、歴史的に人々と隔てのない存在でした。
五箇条のご誓文をみれば明らかなように、天皇陛下ご自身が民主主義に反するご存在であったことはありません。

万葉集にみられる世界は、たとえ天皇であっても、一村人である少女を見初めれば、強引に連れてくるのではなく、「和歌」を送り、そのやりとり次第で、時には袖にされたりもするのです。

明治憲法と、皇室典範が規定されて、ゆがみが生じます。

「天皇現人神説」を人々に押し付けたのは、明治維新の元勲といわれた人たちだと今の私は捉えています。
ところが、歴史を調べていくと、明治維新の元勲といわれた人たちの天皇陛下に対する発言や対応には、気持ちが悪くなるほどの失礼と、酷い仕打ちがあり、とても「現人神」に対するようなものではありません。

しかし、それらのみなさんも、いまや歴史の一コマを彩る物語の中の故人です。
靖國神社で肩身の狭い思いをされているかどうかはわかりませんが、少なくとも特攻で散った若者たちのような、純粋で美しい魂を前に正々堂々といられるか?というと、甚だ疑問に感じます。

戦後七十年を超える長い時間が経ち、東京裁判の証言記録、GHQによる日本統治関係の資料、フーバー大統領の回想録など、さまざまな資料が公開されて、とくに戦後処理に関しての教育プログラムの存在やメディアコントロールについての内情が露見した今となっては、昔、やなせさんが気づく機会を得られなかったことも、はっきりと知れるようになりました。

「アンパンマンのマーチ」、特攻で散った弟さんへの愛があって、この歌詞がうまれたのでしょう。
明るい曲で、とてもよい歌詞だと思います。

「献身」も、「正義」同様で、大変すばらしい言葉ですが、捉え方次第でもあります。
言葉の捉え方、定義が、個々で微妙に異なるため、共有が余計難しいことになります。

今の私が確信をもっていえるのは、「歴史認識の間違い」は決定的な判断ミスを犯す原因となる、ということです。
そのダメージは、今のような分水嶺にある時代、後になっては取り返すことができません。
この時代、知らないことは後世に対する「罪」といえると思います。

今年の成人式は、ずいぶん早い日付でしたが、関東では荒れ模様と予想された天気もなんとか小雨程度でおさまりました。
一時期各地で騒動が起きていた成人式、今年は男子の衣装が妙に派手なものが多かったことが目立ったくらいで、暴れた話をあまり耳にしませんでした。

現職の参議院議員山田宏さんが、杉並区長時代の成人式の話をしておられます。
「言葉のちから」を感じます。

   静まる成人式~杉並区長時代の山田宏の『英霊の遺書』講演  
   https://www.youtube.com/watch?v=XxNvKkN4644  

平成三十年一月二十六日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ

協力 白澤 秀樹