#40 大東亜戦争の遠因を探る ~その4~  国民の教養の不足と付和雷同性

今日は十一月三日、明治時代は「天長節(天皇誕生日)」、その後「明治節」とよばれた日です。
現在は「文化の日」ですが、平和と文化を重視する日本国憲法が公布された日であるなどの経緯で定められた祝日のようです。皇居では文化勲章の親授式が行われ、海上自衛隊では停泊中の自衛艦に満艦飾が行われます。

『側近日誌』や『昭和天皇独白録』を拝読したり、おおみうたに触れているうちに、深い感謝とともに、昭和天皇のおおみこころを、ここで今できるだけしっかりと感じ取りたいと思うようになりました。
日本の将来に有益な、とても大事な課題にかかわっているご発言だと思いますので、先を急がず、きちんと取り組みたいところです。

日本人にはなじみの深い慣習や道徳を通して、幼いころから何となく入っていた武士道精神の片鱗を、『葉隠』や、クリスチャンであった新渡戸稲造さんの残された『武士道』などに見て、ひとつずつ読んでいくうちに、子供のころから教えられてきた「人としてあるべき道」は、武士道に根源があるのだという感覚を得ています。

その基となる武家の教育をはじめとして、江戸期の教育を調べていくと、今ですら世界で希な公平さといいますか、身分がそれぞれ違い、役割も異なり、上下関係があったとしても、主従関係は決して海外における奴隷制度のようになったためしはなく、意欲と才能のあるものに対する扱いも、門弟として養子に入るなど非常に救いのあるものであったと感じます。

どうしてそんなに、すばらしい人格教育が成し得たのか、驚くばかりです。
欧米からの訪問者が絶賛した江戸という町は、清潔で、環境を汚さない工夫や、ものを無駄にせず使い切る循環システムだけでなく、その仕組みを支える人々の精神性に驚き、そのシステムが恐怖政治などでなく、一般庶民のほとんどがニコニコ機嫌よさそうに暮らしている事実にも衝撃を受けたようでした。

いま、日本はかなり欧米化していますから、いまに生きる私には、その気持ちがよくわかります。
江戸の整然とした空気感を資料から読み取るたびに、びっくりしています。

驚くと同時に、たかだか百五十年ほどで、絶賛される側でなく、反対側から見ている子孫たる自分というものに照らし、情けないという気持ちが湧いてきます。

江戸時代、子供たちは寺子屋で幼いころから読み書きを学び、そろばんを学び、武士の世界においては、家庭内教育の後、藩校に上がれば多くの書物から倫理や哲学、医学、薬学、天文学のようなものまで、多岐にわたる選択肢から各家代々の伝承も加味して受けることのできる高等教育システムができていました。

藩校は元禄時代から増加して、江戸中期以降急速に発達していき、各藩で互いに切磋琢磨していたと思われます。
有名な藩校としては、名古屋藩の明倫堂、会津藩の日新館、岡山藩の花畠教揚、米沢の興譲館、佐賀の弘道館、和歌山の学習館、萩の明倫館、仙台の養賢堂、熊本の時習館、鹿児島の造士館、金沢の明倫堂などがあり、創立の時代はやや下りますが、このほか注目すべきものには水戸の弘道館などがありました。

庶民道徳が求められた時代にあって、庶民が教養を積むにあたり、家庭生活や社会生活のなかでの教育のほか、奉公生活の中での教育も重要とされましたが、寺子屋は庶民の子供の教育機関として次第に大きな役割を果たすようになり、江戸中期以降に発達していきました。読み書きを中心として、実用的、初歩的な教育を行う施設で、教師を手習師匠(師匠)、生徒を寺子といったそうです。

江戸時代の識字率、武士階級ではほぼ一〇〇パーセント、町民でも七〇パーセントといわれています。
戦国時代に来日したイエズス会の宣教師が、日本で茶屋に奉公している娘が暇をみつけては熱心に本を読んでいるのを見て驚愕した記録が残されているといいます。このような文明度の高い国を植民地にするのは不可能だという手紙を本国に送っていました。

江戸期にもっとも読まれた少年教育の書に、貝原益軒の『和俗童子訓』があります。
五巻から成り、巻一、巻二で総論、巻三で隋年教法と読書法、巻四で手習法、巻五で女子に教える法がありますが、巻五はその後、「女大学」の題名で広く女性の必読書となりました。

益軒は『和俗童子訓』の主題を「義」と「愛」に置き、謹むことの重要性を説いています。

鎌倉時代から江戸時代にかけて培われ、江戸時代に円熟したと思われる教育システムに学ぶことは、多くありそうです。

私塾もさかんとなり、遠くに素晴らしい先生がいると聞いては、長い時間をかけて出向き、教えを乞い門下生になったり、入塾したりといった国内留学のようなことも多かったようです。

  江戸時代の教育機関・・・藩校・郷学・私塾・寺子屋
  http://kfujiken2.exblog.jp/17419935/  

また幕末期の教育について、文部科学省のHPが参考になります。

  白書 学生百年史 第一編 近代教育制度の創始と拡充
  序章 幕末維新期の教育  一 幕末期の教育
  http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317577.htm  

  上記URLで表示されない場合、文部科学省HP内で、「幕末期の教育」でも検索できます。

このところ、毎回引用させていただいている聖談拝聴録原稿(木下メモ『側近日誌』木下道雄著より )の、「将来の日本について」のご考察に下記のものがあります。

 二、軍備が撤廃された以上、是非とも国の底力を強靭にしておかねばならぬこと
   どうすればよいか
    イ) 義によりて律し力によりて貫く愛の教育
    ロ) 逞しき体躯の養成

このなかの「義によりて律し力によりて貫く愛の教育」とは、まさに、貝原益軒の『和俗童子訓』を貫くものでもあり、真の武士道精神そのものだと思いました。

江戸期の教育よ、よみがえれ!と思いますが、そのためには、正しくそれを伝えられる師が必要なのです。
そして、そこには、できる限りウソやごまかしが無いことが重要なのです。
特に利他からでなく保身や利己的なウソは、見えないところですべて同時に伝わってしまいます。
そう思うと、伝え教える者たち側に改心の必要と精神性、人格向上が真っ先に求められます。

日本精神を食い止めるにはギリギリのタイミングだと思われるにもかかわらず、途方もないことで、めまいがしそうです。
現場においては、ある程度のことは棚上げにしてでも大人たちが連携し、今上陛下を生きるお手本に、皇后陛下の高い精神性を見習って、コツコツと誠実に取り組むしかないのかなと思います。

時代を少しさかのぼり、戦前の教育はどんなだっただろうと思いました。

去年、二度ほど予科練平和記念館に行きました。
土門拳さんのすばらしい写真パネルが何枚も常設展示されていて、語り部による語りを聞き、予科練における生活の記録映像などを拝見しました。
敷地のつながっている雄翔館には、予科練から散っていった学生の辞世や遺品、記録も残されていました。

戦時中の文武両道というのか、心身ともに健康で頭脳明晰な精鋭の集合体であった予科練の教習風景の映像が、脳裏によみがえります。

教練生活に見る若い青年たちが、きびきびとしているさまは、とても美しいものでした。
鬼のような教官で、ものすごく厳しい躾で、唖然としましたが、その予科練の映像を見ていて、若い一時期、自衛隊や昔の予科練のような教習は貴重な体験となると感じました。

案内役をしてくださった村田春樹先生のお話によると、軍事教練を受ける前と後とで、女性たちからの人気に、大きな違いがあったといいます。
村田先生は、ご自身も三島由紀夫先生の「楯の会」で自衛隊の訓練に参加したこともおありですし、ご子息も自衛隊員ですから、自分自身でも体験的にご存知なのかもしれません。

戦時中、へなちょこだった小学校の同級生たちが卒業後しばらくして、制服姿も凛々しく、ビシッとした礼儀を身に着けて郷里に戻ってくると、「嫁になりたい」という女性たちが引きもきらなかったそうです。
最近、自衛官や消防士、警察官にあこがれる女性が増えていますが、ある意味当然だと私は思っています。
中国共産党が、若い中国人女性たちを日本の自衛隊員に嫁がせようとして送り込んでいるハニートラップのような人気は避けてほしい異常事態ですが、何があっても自信を持って国を護り、地域を守り、親や子を守ることのできそうな気骨と体力のある男性は、子を産み育てる女性にとって、カッコイイに決まっています。

近年、一般社会人や学生でも正式の教練を一定期間受けることによって予備自衛官になることができると知り、私の若いころに女性でも予備自衛官になれる可能性があったなら、ぜひ、参加したかったと思いました。
こういった制度も、もっと広く知られてよいものだと思います。

やりすぎの儒教教育には弊害もあると思いますが、形の美しさというものを若いうちに体で覚えることも大事です。
それは、必ずゆくゆく出会う人たちによって評価されうるものとなり実を結んでいく、本人にとっての財産となるからです。

体を作ること、正しい姿勢や礼儀作法は、若いうちにこそ、身につけるべきものなのです。
一度身につけたうえで、社会に出て実行するかどうかは本人次第でもあり、TPOでもあると思いますが、そもそも知らなかったらイザというときにできません。

予科練には「五省(ごせい)」という訓戒がありました。旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校において用いられたそうです。現在は広島県江田島市にある海上自衛隊幹部候補生学校に伝わっています。

  一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか   真心に反する点はなかったか
  一、言行に恥づる勿(な)かりしか   言行不一致な点はなかったか
  一、気力に缺(か)くる勿(な)かりしか   精神力は十分であったか
  一、努力に憾(うら)み勿(な)かりしか   十分に努力したか
  一、不精(ぶしょう)に亘(わた)る勿(な)かりしか  最後まで十分に取り組んだか

実は、軍隊式唱和は私にとっては何より苦手だったりするのですが、唱和するしないに関係なく、損得勘定を考えずに生きられる学生時代に、自分自身の生き方に照らして「五省」をもって顧みる日々が送れるとしたら、それは精神を磨く上で、とても有意義なことだろうと思います。

基本精神を伝え、おのずから律することのできる人材を育成していくことこそ、教育の有用性だと思います。

時間に追われ、深く考えることも経験しないまま育ってしまった子供たちを、どうするつもりかと考えるとき、大人になって大変な思いをするのは子供たちなのだと気づかないでしょうか。

私が子供だったころは、子供たちの間にも「サムライスピリッツ」とか言いながら、武士道の真似事をしたり、片鱗にふれる機会がありました。
「武士道精神」もいまの日本では、ほとんど漫画や架空の物語の中でしか存在していないのかもしれません。
むしろ現実にはTV番組の「Youは何しに日本へ」などで見る、来日する海外の軍人や警備員、武道家のほうが、「武士道」に造詣が深い傾向にあるのかもしれません。

日常生活の中にこそ、武士道精神の「義」や「恥を知る」という日本古来のつつしみのようなものが必要なのではないでしょうか。

先日、靖国神社で本を買いました。
あらためて、昔の日本人はえらかったなぁと思いながら、引き続き読書の秋を楽しみたいと思っています。

  『教師のための 武士道入門』
  北影雄幸著  勉誠出版  千五百円+税 

昔の日本人が、人生の長い時間をかけて幼いころから学んできたことを、いま復活させることは至難の業です。
教養を高めるには役立つとしても、生活の中に生かすには、時代も変わり無理のあることも含まれるでしょう。
エッセンスを学ぶことが、大切なのです。

人の邪悪な野望や妬みなどの「思い」が渦巻くこの世界で、健全な精神を保つこと自体がすでに難しい世相となりつつあります。

邪悪な想念の渦巻く世界に身をおいて、健全な精神を保ち続けるというのは、よほど強靭でない限りは、鬱々としたり、引きこもりがちになったり、本領を発揮しにくくなることは当たり前のことだと思います。
未然に防ぐには精神の構造を知ることが第一で、知れば対応ができますし対策も取れます。

この時代に精神学を学ぶということは、妬む世界から一足先に卒業した日本人が、この先の地球のモデルを生み出すはたらきを、困難に負けず、健全な精神を持って実行していくために、非常に重要なツールであると思います。

私は以前、生きている人がほんとうに怖かったので、普通に社会にいながら、精神的にはひきこもりがちで、考えていることを人様に公開するなど、ありえないことでした。

面倒なことや争いになりそうなことは避けて、その代わり思いつく限りのイイコト、善行を積もうと思い、それなりの行動もしてきました。
できる限りの人を許し、ことを許し、人生という修行を耐え忍ぼうとも思っていました。
この一生、どうなろうとも、必死に頭を垂れて、死ぬまでの間を我慢しようと思っていた時期もあります。
どうしたら、後退せずに前のめりで早く死ねるか、ということをよく考えていました。

そこまで突き詰めなかったとしても、こういう方向性は、日本人には比較的多いタイプではないかなと思います。

しかし、それではだめなんだ、と今ははっきり自覚しています。
我慢では、自分だけは凌げるかもしれないけれど、それでは自我の世界にとどまります。

いま、目の前で起きていること、起ころうとしていることに、向かって行けるのは生きてこそですから、生きて、見て見ぬふりをせず、戦うべきときに戦わなければなりません。
それは戦争という単純なことではなくて、言論であれ、情報戦であれ、世直しであれ同じこと。
困難に立ち向かう精神力を保持すること、くじけない精神こそが大事なのです。

困難な状況下において逃げ出さず、直面して、たたかうということ。
インドではバガバット・ギーターに見ることができますし、最近読んだ本に「止持作犯(しじさはん)」という言葉を教えられました。
意味は、「してはならぬことをするのも罪だが、しなければならないことをしないのはもっと罪である」ということだそうです。
本の帯には
  罪なき罪で獄中に二十二年。
  侠客・川口和秀の不屈の精神史。
とありました。

学校を出なくても、というよりも、もしかしたら現時点における一般的な高等教育を受けないほうがむしろ、精神を深くすることはできるのかもしれない、ということが感じ取れる記録でした。

以前読んだ書物のなかで、ダンテス・ダイジ(雨宮弟慈)から、「自分自身に直面する」という姿勢を教えられました。
自らを振り返ると、親への口答えに始まり、鉄火肌でかっと怒ったり、言い逃れをしたり、未熟な考えで正義感を押し通したり・・・反省ばかりですが、自分の弱点や犯した間違いから逃げることなく、直面して見つめなおし、そこでの学びをバネにして改善していくというひとつひとつの体験は、人生の醍醐味でもあると思います。

誰にでも意志さえあれば、どこででも精神を研ぎ澄ましていくことはできるのだと勇気づけられます。

   『獄中閑 我、木石にあらず』
   川口和秀著  TAO LAB BOOKS  二千五百円+税
   http://www.taolab.com/magazine/2017/10/post-2.html  

最後のほうではどことなく禅僧のような雰囲気も感じられてくる川口さんの文ですが、いつの日にか厄挫も卒業され、ほんとうに禅僧になられたらいいのに、と一般社会人の私としては希望しています。

私も、「義をみてせざるは 勇なきなり」の精神に「止持作犯」の姿勢を加え、命の尽きる最期まで走りぬいていこうと思います。

みなさんと共に、私たちより前に生きてこられた方々と、後から生まれてくる人たちのために、いいバトンを渡せるように、力を尽くしてまいりたいと思います。
どうぞ、ご一緒に。 よろしくお願いいたします。

平成二十九年十一月三日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ