アトミック

地元のお店でコーヒーを飲んでいた時の事

ニホンの公共放送局のテレビ放送であるニュースを聞かされました。

 

そのニュースとは

原子力規制委員会が柏崎刈羽原発の運転禁止命令を解除したというもの

(既にこのブログをご覧になる前にこのニュースを見聞きされた方もいらっしゃるかと思いますが)

 

柏崎刈羽原発が稼働停止、運転禁止となっていた経緯は

フクシマの事故により全国的に稼働停止となっていたということがまず経緯にあり

その後、国内の原発が稼働再開を始める中

周辺自治体や県を中心としてフクシマの事故の検証と再発防止がまず先との二つの経緯により

稼働停止、運転禁止が続いていたというのが考察の一つにあります。

高速増殖炉と呼ばれるものが廃炉作業を進めている中で

そしてこのタイミングでの運転禁止命令解除というものは

光文書(ヒカリモンジョ)Vol.800+30+60 ポスト・ビッグバン

光文書(ヒカリモンジョ)Vol.800+30+58 円、ドル、元の未来

ともリンクしている事象でもあるのかもしれないとも考察しています。

 

もっとさかのぼれば

フクシマだけではなく、

ヒロシマやナガサキから何を学んだのかというお話にもなるのではないかとも考えます。

 

そして、現時点にいたるまでの間に

再稼働停止を掲げていた前知事がハニートラップで辞職し

前の前の知事は別の問題が出て任期満了時に再出馬を断念した

そんな事象があった事も思い出されます。

 

原子力というものを英語表記につると

Nuclear Energy (ニュークリアエナジーと読みようです)となるようですが

Nuの部分はニューと読み

ギリシャ語の13文字目が由来であるようであり

意味としては英語のNEWと同じ意味であるようです

ですので無理やり意味づけをするのであれば

新しく(Nu)澄み切った(clear)エネルギー(Energy)となり

そこにリンクするのはかなりの違和感を生じざるを得ません

 

日本で言ったら

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ

世界で言ったら

チェルノブイリ・スリーマイル島

などの出来事があった中で

新しく(Nu)澄み切った(clear)エネルギー(Energy)

などとは到底思えません

(ブログタイトルもそのような理由により「アトミック」としています)

確かに電気というものは現代人には必要なものの一つではあるとは思いますが

 

原子力というものの使われ方というものの歴史を考えるに

こういった単語はいかがなものかと個人的には思ってしまいます。

 

そもそも

・ガイコクの日本への原爆投下

・GHQにおける日本の占領

・そのうえでの現行の日本国憲法の発布

については国際条約である「ハーグ陸戦条約」の違反であるとも考えられ

日本国憲法が日本国民の手で改正というものがなされなければ

日本は米の国の属州という考察も生まれます

(そもそも、押し付けられた憲法が戦後ずっと自国民に手が加えられずに続いている)

 

聖書の中でも

神は「私は妬むもの」と宣言していますし

別の部分では「人間の穢れを嫌う」側面もあり

私たち人間も妬むことなどは多々あったりもし

それは「神の子」の因子とも考察していますが

 

とはいえ

私たちは人として生を受けている以上

「人の子」として学び、ある部分では人であることを楽しんだりしつつ

内なる神を超えていき、小宇宙の主人たる自分へと変容していく

側面もあるのではないかとも考えます。

 

言語化できている部分はここまでの、今現在の私ですが・・・

 

 

様々な学びなどの機会を与えられていることに感謝いたします。