最終知識

はじめに結語ありき【物語宇宙】

  私は、その日がくることを知っていた。私は、自分の人生にひとつの仮説を設定していた。私自身の精神の最悪期であった時に、聖書の次の書を記述するものという一種の啓示が、訪れたのだ。それによって、私は生きる力を得た。私が立てた仮説とは、人間は神について考え抜くことで、神に出会うことができるというものだった。究極の思考の先に神との接点が発見される。そのために生きよと、啓示されたと感じていた。やがて、私はこの地球上の精神世界というものを形成する、さまざまな力を現実の生活のなかで理解できるようなかたちで体験するようになった。いろいろなタイプの超能力者があらわれ、そして、去っていった。その多くは自らの主体的な意志で私の前にあらわれたのではなかった。別なものの力に導かれ、私を引き込もうとし、失敗すると去るということをくり返した。私は人間の魔界を学ばされていた。しかしそれは、やがて、精神世界に存在するほんものの魔界に踏み込むための用意にすぎなかった。この学びの時期、私は、知識として精神世界を理解する鍵を日本の神々の物語のなかに見いだした。
  そのはるか以前に、私は、自分の思考のなかに、確実な法則性があることを発見していた。それは、あることを知らなければ、前へ進めないと感じた時、一種の瞑想状態で思索を続けると、瞬時に全体が理解できるという突破点があるということだった。また、知らねばならぬ知識は、いつも偶然のように目の前の書物や、文献のなかに置かれていた。
  過去の知識の交通整理はすんだと感じられたし、それまで20年以上も続いた思考系の活動も静かになっていた。人間の世界に渦巻く波動が混乱と狂気に彩られるのを感じながら、私は、祈り、そして、待った。それが過去の知識から学んだルールだったから。
  最初から、私の出番は最後であると知っていた。そして、その時がきたら、過去そうであったように、神秘体験というかたちで、いやおうなく神的活動に召し出されることになるであろうことも知っていた。
  私の用意ができ、神の用意ができて、呼び出される。
  それまで、私は、過去の出来事と断片的な知識をもとに、神=GODについて思考し続けてきた。神=GODの問題を解決せずに、人類は、もうどこにも進めない段階にきている。それがこの思考の原点だった。
  過去から今日まで、人間は神の名のもとで無数の殺戮をくり返してきた。宗教は民族的対立に油を注ぎ、幾何級数的に憎悪を増幅し続けている。人類の歴史にこれほど深く神=GODというものがかかわらなければならない理由が私にはわからなかった。
  神は、この地上の悲惨の責任をとられるのであろうか。
  そのこたえは、神の世界にしかない。

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