最終知識

第六章【審判】

  この世のものは、あの世のことを知らないというルールで成り立っていた人間の物質文明は、この境界の消失でほころびはじめる。すぐに、人間は、死者のたましいの行き先がないことに気づくだろう。
  かつて、地球の精神世界は、審判のために、霊界というたましいのプールを用意していたのだ。そこに、天国もあれば地獄もあったことを私は知っている。そこで、人間霊はある期間、反省期の状態に置かれていた。時期がきたら、転生がプログラムされているものは人間界に、また生まれる。転生しないものもいたが、それは次の学びのタイミングが、審判の時と定められたものだ。人間は、そこを天国という名で呼んできた。しかし、人間霊界のものは、また生存の状態に戻るのだ。それから、審判がくる。人間霊界は、人間の精神世界の横にあるもので、移行していく場である。神界とも、魔界とも、別な場である。そこは、いってみれば普通の人間のたましいの行き先だったのだが、扉が閉じようとしていた。
  イエス以前、たとえばエジプトでは、人間は死後、すぐに裁かれると信じていた。イエスは、最後の審判で、あらためて裁かれると宣言した。私は、そこで気がついた。私は、神業をはじめる前に、人間霊にかかわるなと、念を押された。それでも、能力がつくと好奇心から、同行者を通してコンタクトしたことがある。私の好きな小説家と詩人を呼んでみたが、意識は眠っていた。ただ、そこにとどまっているだけと知れた。光をあてれば活性化するが、それは生前の意識の延長であり、たとえば神について、何かを知っているわけではなかった。
  霊とは思いのかたまりである。ひとりひとりの人間のたましいに刻印された物語が、人間霊には保存されている。それは、メモリーであり、審判への上申書のようなものだ。かかわるな、さわるな、である。人間は脳のなかでは容易に物語をつくり変えられるが、死後にも保存される霊というメモリーには、自己保存のために物語をつくり変えるこころの動きまでが、残されている。
  人間霊界は、そのたましいにあわせて層を形成しているが、審判を受けているわけではなかった。だからこそ、私は最後の審判を希求してきたのだ。

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