大地震に続いて、東京の地下鉄にサリンがまかれた。危険な精神世界のエネルギーの一端にふれた暗黒のものが、人間のアサハカさのショウコとして表にあらわれた。私がヴィジョンで見せられた富士山の下に延びていた暗黒の地下茎の一部だった。これで、人間は、人間が精神とかこころとか、意識と呼ぶものの基本的地図さえ持っていないことがあきらかになった。精神世界イコール宗教という図式が、多くの人間の潜在意識に刷り込まれていた。人間が、うちなる闇、暗黒面に目を向けない生き方をすることで、人間存在そのものの平衡が失われるという単純な原則に、誰も気がついていないようだった。
心理学的用語と宗教的用語が飛び交うなかで、人間と精神世界的なエネルギーの関係については、何も知らないことがあきらかになっていった。私は、人間がもうすこし知っていると考えていた。神や神々が、人間に対して秘密にしてきた、人間存在の危険さ。人間の意識に対してなされた蓋は、まだ残っていた。しかし、原初の神の戸があいてしまった。遅かれ早かれ、人間はその力に向き合わなければならない。
暗黒の一部が、昼の光のもとに引き出されて、多くの人間が精神世界的力というものが、人間の意識やこころに、支配的な力をおよぼせることは見た。しかし、自分には作用しないと、考える。不思議なことだった。
人間は、自分の見たいものだけを見て、自分の物語のなかに生きている存在であることを、永遠に続けようとする特性を持っている。しかし、それは終わらせられる。大きな意志がはたらいていた。2000年間のマインドコントロールはすでに終わり、その意志、あるいは新しい時代を、人間が破滅せずに迎えられるよう、私は掃除を命じられていたのだから。
<クニトコタチ>の本体が、地表にあらわれたところで、すべてが終わるというのが、<ワニサブロー>の知識の到達点だったが、私は、それほど簡単ではないことを知っていた。五たび滅んで六度目のものであるその時の地球の精神世界のエネルギーのなかで、<クニトコタチ>は、聖書でいうノアの箱船に関与した存在ではあるが、それ以前の滅びもある。
原初の神の光というのは、すべての滅びの記憶の向こうにあるのだ。