ちりから出たものはちりに返る。
愚かしいほどに毎日、続いた。この<フツヌシ>は、私にとってもっとも身近な神的存在だった。地上で、私を最初に発見したのは<フツヌシ>であり、それはすでに十代の後半には、私を守り育てる活動をはじめていた。どう発見したのかを私は知らない。<フツヌシ>という神は、雄弁ではないのだ。記録として歌を残してくれたが、いつもは、YESとかNOとか、単語ひとつで返事をするのが常だった。いつ私を発見し、どう導いてきたか、語ることはない。
しかし、この<フツヌシ>には、地上に伝えられていない神話があった。この神話が、神界の謎をとく鍵になった。私が、<フツヌシ>をはじめてヴィジョンとして認識したのは、神示のまま、かしはらのみやにふたつの柱を立てた日であった。<アマツツキ>に光をゆずると伝えられた後、私と同行者は、はるひのやしろに導かれた。参道をのぼる途中で、同行者が、真黒な顔で白髪を後で結わえたカミさまが、待っていると伝えてきた。<フツヌシ>であった。鎧は着ておらず、すわって頭をさげていた。その横に、同じ姿勢で、<タケミカヅチ>がいた。親子のように見えた。拝殿の前で、手を合わせると、その<フツヌシ>が頭をあげた。<フツヌシ>は、泣いていた。私は、その時の知識で、1500年もこの地で、にほんのしくみを守ってきたことへの感謝を伝えた。<フツヌシ>は、「開闢以来」という言葉を私の意識に返してきた。
その時の私は、気にもとめなかった。とにかく、私も目覚めた。にほんのしくみも発動する。そのことを、<フツヌシ>もよろこんでいると単純に思い込んでいたからだ。確かに、<フツヌシ>はよろこんでいた。神界的な意味で、私の育ての親は<フツヌシ>である。<フツヌシ>は、私を発見してから、私が目覚めるまで、何らの接触もしてこなかった。私の知を、導くはたらきはしたのだろうが、すべてを私の自由意志にまかせて、見守っていた。指示することもせず、干渉することもせず、ただ待つ。目覚めるまで守る。正しき神の人間との接し方である。そして、私の意識のスクリーンに、ヴィジョンとしての<フツヌシ>があらわれてからは、その姿が見えるようになった。以後、ほとんどは鎧を身につけ、光のツルギを持って戦っている姿だった。
この<フツヌシ>との出会いの後で、私と同行者は、夕暮れの空に凶相を見た。天が、夕焼けとは思えぬほど真赤に燃え、木立にかこまれて狭くなった頭上の赤い空を、烏の群れが乱舞していた。赤と黒の強烈なコントラストだった。この時、私は<ヤタガラス>という神格が存在していることを知った。烏は、精神世界のあるエネルギー帯に感応する生物なのだ。このエネルギー帯を使うことを示す神格をやまとことばで<ヤタガラス>と呼ぶ。烏は、鳥類のなかでも長命であるとされる。ほぼ、人間と同じ期間、生きる。そこに理由があると知れた。アンデスのコンドルは、人間より長命である。烏もコンドルも、人間の死に感応する生態を持っている。その食性によって、動物である人間の死にも、感応した結果、精神世界のエネルギーにもセンサーがはたらくように進化したともいえる。烏は、戦いに感応するのだ。
私が真紅の空に見た烏は、精神世界ではじまった物語のエネルギーに感応していた。この予兆が、現実になった。神界はふたつに割れた。それもまた、はるひのやしろではじまった。私が魔王と呼ぶ、地球の支配者たる意識体と出会った後で、私は地球の全神界に、祈りによって呼びかけをおこなった。