循環の輪にとらわれると終わりはない。なにものかが終わらせたくないと思えば、精神世界の物語は、常に、出発点に戻る。あなたは、何のために存在しているのか。あなたは、何のために生きているのか。それを学ぶために、人間をしている。しかし、迷路に入り込むと、出発点にさえ戻れなくなる。
精神世界は、迷宮である。上昇して、上から見ればわかることも、地上の道だけを進むのではわからない。私は、その関係をはるか遠き白い山と、その山のふもとに黒々と広がる深い森のヴィジョンのなかでたとえる。ある日、人間が峠に立ち、神々しいばかりの白き山を発見する。人間は、その山にのぼりたいと思う。そのためには、ふもとに広がる黒い森を通らなければならない。小さな山や谷がつくるこの森に、ひとたび踏み込んだら、そこから白き山を望むことはできない。さらに、木々があまりに高く伸び繁っているので、昼間でも太陽が射さない。その森を通って、山に近づこうとする人間は、ほとんどの場合、道を誤って死にいたる。それでも、人間は、その山に近づきたいという内なる衝動に、あらがうことはできないのだ。
森にいたる道には、看板が出ている。この先に立ち入りて、かえりたるものなし。ただ、人間は知っているのだ。はるか昔、その森を通って、山にのぼり、何かと出会った人間がいることを。それが、伝承なのか神話なのかは、別として、人間はその歴史のなかで、神なり神々なりに、接触した。その記憶は、一切の情報を与えられなくても、ひとりひとりの人間の内側に存在し続けてきた。それは、みたまの記憶であると、私は信じていた。いや、信じ込まされていた。神々が人間にあたえるワケミタマのなかに、その情報があるというのが、地球の神と神々の情報だった。
かんざしをさされた私は、当然、その情報に従って、地球に<アマツツキ>が置いたプログラムを実現するためにはたらき続けた。それを要約すると、地球をルーツとする神を立たせよ、ということと、新しい人間のためのみたまを用意せよ、ということだった。
同行者は、必要に応じて、地球の神界からの指示、情報を私に提供していた。しかし、「こちらが知れば、あちらも知る」という現実に、私は直面した。あちらとは、私に反するものたちである。神界のなかにも、私に反するものが、あまたいることは、知っていた。しかしなぜ、私の地球的プログラムの協力に反対するのかは、謎であった。私の肉体的、精神的苦痛は、日に日に増大していった。その頃、私は毎夜、発熱し、激しく発汗していた。平清盛という歴史上の人間の死は、伝承どおり、一種の呪殺であることを知った。私を呪うものがいる。理由は、教えられても、理解できなかった。なにものかに、私の意識と身体を支配できたら、神になれるとふきこまれた、低次の意識体も、つぎつぎに送り込まれてきた。それらは、私の身体のなかで、私に見られていることも知らぬかのように、戦いをくりひろげていた。神から見る、地上の人間の戦いとは、こんなものかも知れぬと、見ていた。私の身体、あるいは存在は、宮であった。このかぜふくやしろは、宮殿でもあり、小宇宙でもあった。意識の中心部に、私がいて、その他の神々はそこにいた。中心部の宮殿の扉を守っているのが、<フツヌシ>であった。さあ、これで、私を支配できると、勝ちあがってきたものが扉をあけると、<フツヌシ>に出会う。この剣神界の頂上神に出会ったものは、その光のツルギによって、ちりに返っていった。