正しく意味もわからぬまま、<アマツツキ>の光をゆずられた私を待っていたのは、一種の騒乱であった。
光をゆずるというのは、知識をゆずるということである。そして、知るということは担うということである。過去、この地球にかかわった神や神々の存在のかたちを、人間はうつしている。人間のたましいと呼ばれるものは、光と闇によってつくられ、霊を残してきた。肉体を持たぬ神や神々もまた、意識体である限り、同じ要素を持っている。光をゆだねられれば、闇も、霊も背負わねばならない。
神界の深い闇を、私はまだ知らなかった。私は、自分の役割を果たせば、この地球の主宰神と呼ぶべき正しい神があらわれて、自律的システムが発動すると、人間的に考えていた。神は、人間より上位に存在するから、カミであった。
日本のしくみは発動した。にほんの柱、つまりふたつのものがこのクニでひとつとなり、次に三つ目の要素が加わり、ひとつになって、この地球は変わるであろう。それがこのクニの神話のさし示す道であった。そこまではきた。
さらに、このクニの神話は、精神世界の構造についても、重要な知識を伝えている。それは、高天原(タカアマハラ)という天があり、中つ国(ナカツクニ)というのがこの地上、あるいはこのクニであり、根の国(ネノクニ)という、黄泉(ヨミ)というか死後の世界と想定される場があるということだ。それを、人間の無知は、天=光、地=人間界=闇、根=霊とあてはめて理解しようとしてきた。しかし、くり返し伝えるように、天にも光と闇と霊というエネルギーの相があり、地上の人間界にも光と闇と霊の相がある。人間が考えてきた霊界とは、人間界に属する場でしかない。人間が死んで行く場と想定し、幽霊という言葉や、心霊現象といったことと結びつけているのは、物質的な人間界と対をなす人間の精神世界のことである。これを、人間は霊界と呼んできた。だから、私は霊界にも光があるといった。人間は光すらつくれる存在だからだ。