最終知識

第一章【日本のしくみ】

  もういちど、出発点に帰る。聖書を2000年間、地上に置いた意志。あるいは、聖書の知識を前提にしなければ、知ることができない知識へ、全人類を導こうとした意志。それこそが、人間に対する神のあらわれ方なのではないか。聖書が、わざわざ、知恵のある者はといてみよ、と謎をかけているのは、それがかならずとかれる日がくるからだ。この聖書を地上に置いた意志が、かたちを変えて、日本の開国前後に、このクニの表にあらわれた、というのが、その出発点だった。
  精神文化的にいうと、日本で、江戸幕府の時代を終わらせた知識は、幕府と同じ徳川家をルーツとした水戸の国学であるといえる。さらに幕藩体制は、水戸藩出身の将軍によって幕がおろされた。この時代の変動をつくりだしたエネルギーは、たとえば儒学から国学へという人間の精神文化の流れをつくっただけでなく、精神世界の存在、つまり神々も動員することになった。このムーブメントのなかで、それまでこのクニでは、封印されていた神々が、神がかりを起こした。眠っていたともいえる神々、それはたとえば川手文治郎にかかったもののように、既存の知識では危険視されていたものだった。続いて、明治政府が廃仏令を出したり、神道を国家の下に置いたりして、精神世界の主導権が愚かな人知によって踏みにじられた結果、神々の怒りが伝達されるにいたる。
  中山ミキのお筆先という自動筆記であらわれた、「たかあまのしんのはしらがカラビトや」という歌にあらわされた神の怒りは、出口ナオにかかった神にいたって、全世界の「立て替え立て直し」を宣言する。それは、かならず起こるが、神にも人民にも知りえたことではない、という。聖書の伝えたことと同じではないか。その日、その時、がやってくる。しかし、それは、神のみぞ知るというのが、イエスの時からのメッセージである。
  日本の神々の情報を調べた結果、聖書を2000年間保持してきた何らかの精神世界的なエネルギーの正体があきらかにされるとしたら、このクニにおいてであろうと私は考えた。神界の情報によれば、それは九分九厘まで用意されたという。神々がはたらき、道をまっすぐにせよという声にこたえて、先達となる人間も神がかりとなりはたらいた。その最後の一厘が、私の仕事である。考え続ける私の頭のなかに、ニホンのしくみ、ニホンのしくみ、という言葉が通奏低音のように流れていた。
  その頃、このたびの神業の同行者となるべく、ある種の超能力を持つ女性が日本の神界による特訓を受けていた。図書館に通い、今昔の神の書を読み、ほとんど無意識に神社に行くということをくり返していた。この地上で生きる超能力者や霊能者といった存在は、その潜在能力が高いほど、人間としては問題を抱えている。危険なのだ。どんどん準備が進んでいくなか、私は、同行者に関していくども、神に異議申し立てをした。こたえはいつも同じであった。
  『これは天と地の契約である』
  過去の歴史では、精神世界の転換点に登場するのは常にひとりの男性だった。ブッダ、イエス、ムハンマド。それが、日本では、女性にも役割があてがわれている。出口ナオとワニサブローのコンビは、きたるべき立て替え、立て直しの時こそ、男女ともに参加するものになるという神示であった。それは、男性原理が優先され、力による支配を正当化してきた過去の歴史を転換させる神の意志である。男性原理だけでは飛行機の片肺飛行にも等しい。精神世界も、男性原理と女性原理が一対のものとして平衡状態を取り戻すのだ。暴力的な力による支配の時代は終わらさなければならない。そして、何より、今回の神業は、人の世にあかしされる。神のわざの完全な証言者を用意するという意志もはたらいていた。

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