Vol.800+30+79

マネーの法則と反科学

地球は、この二千二十四年の四月をもって、審判の時代に突入しました。ここで、私が知らされている現行の人類のたましいのあり方と、マネーの関係性について改めて、お伝えしておくことにします。
日本列島以外のほとんどの地域で、人間が宗教としているものは一神教に由来するものですが、これを精神界は聖書の時代と呼んでいます。
聖書の次のものとして、イスラム教のコーランというものもありますが、その辺の知識は、「最終知識」という書を読んでいただくとして、要するに唯一の神というものに由来する宗教です。そして、この宗教がある限り、戦争がなくならないということを、人間の歴史は教えています。つまり、一神教の宗教と戦争は、ワンセットのものなのです。そして、現行人類は、この一神教の神たる存在の光と闇のエネルギーの容器として、しばらくの間、使用されるという契約が、天地の間でなされたということを教えるために、日本の神話が地上に置かれているということを、人間界に伝達する役割を担ってきたのが、精神学というものです。
一神教の宗教は、モーゼも、イエスも、ムハンマドも、人間であったということは伝えていますが、いま生きている、すべての人間もまた、彼らと同じように神と接触することが可能なものであるということを教えようとはしませんでした。その道を示していたのは、インドと日本の宗教的伝統でしたが、それを再発見させたのは、無神論の科学が、物理や宇宙の法則を発見した結果だったといえます。
たった一人で、座して、考え続けた知識が、仏典のようなものに残され、その内容と、宇宙の法則に共通点があるという発見に到ったのです。

そこで明らかなのは、マクロコスモスとミクロコスモスの関係性で、どうやら、人間の意識世界ともいうべきミクロコスモスの探究は、マクロコスモスの理解に繋がるということです。それと同時に、この人間の意識する世界観、宇宙観と、この世のマネーというものにも同様の関連性があるということも明らかになりつつあります。
聖書の時代、一神教の時代というものは、ある人間グループの富を増大させるのに一番ふさわしい手段として、戦争というものが使われたといえます。その戦争という手段よりも、はるかに効率的な富の創造の方式が、科学技術の研究開発というものです。はじめ、それらは、戦争に勝利するための手段でしたが、二十一世紀に入ってからは、先進国のほとんどで、軍事予算よりも、はるかに多くの研究開発費が使われるようになり、マネーを生み出す手段が戦争ではなく、科学技術の研究と開発というものに変わりました。
いままでのこの地球上にあったマネーは血塗られていたのですが、これからの富は、ひとりひとりの人間の意識活動から生まれるものに変わることが定められているのです。
もし、天というものがこの地上の動きを見ていて、血塗られたマネーの支配者たちが、次の時代の富の源泉を生み出す科学技術の開発資金を提供することで、次の時代の富の支配者として君臨しようとしていることを承認するならば、それは、天による契約違反ということになるはずです。
マネーという、現在の地球を支配している人間が作り出したものと、次の時代の人間をマネーというものから解放する経済のシステムとを、どう考えるかが、これから人間界に問われるのです。このシステムのひとつのヒントが、この物質世界の主たる神として、今回、登場したモノヌシという神格の意識体で、この神格を、私は富を生み出すハタラキを助けるもの、つまり、無神論ではない時空における、新しい科学技術の神であると認識しているのです。そして、これが重要なのですが、この神は、日本において、祟り神として、長い間、人間界に関与してきた存在であり、日本の仕組みが完成した時点で、自ら新しい地獄の主としての活動もはじめているのです。つまり、これからの人間の世に富をもたらす科学技術の神は、審判者でもあり、血塗られたマネーによる人間世界の支配を許すものではないということです。ここに、日本の未来の道筋が示されています。
新しい富の創造に参加するには、新しい契約が必要となるのです。

神紀四年(二千二十四年)四月十一日 積哲夫 記