Vol.800+30+80

飯山あかり

東京十五区の補選のこのタイミングで、天から、飯山あかりというタイトルの、光文書を出せとの伝達があったので、かつて、お伝えした小池都知事の話との関連も含めて、私が知らされていることを記すことにします。
テーマは、ミコトモチということです。「ミコトモチ」とは「命持ち」とも書きます。
天からの命を持たされて、いま、人間をしているものということです。
政治家でいうと、暗殺された元首相の安倍晋三は、このミコトモチでした。
長州の明治維新の責任を取るために、生まれた人物で、たぶん、自身でも松陰先生の門下の人間が、誤った方向に導いた日本の政治風土をあるべき道へ戻すことをテーマにしていたはずです。祖父の岸信介の助力があって日本に入れたともいえる、朝鮮半島の宗教団体、統一教会との関係が、その死に直結している運命というものは、ある意味で残酷なものでした。
この安倍晋三が首相であった時の選挙では、自由民主党は勝利し続けました。日本中のほとんどのマスメディアが、反安倍のキャンペーンを張っても、その内閣支持率は、一定以上をキープしていたのです。
このことは、日本国民の一定数が、自由民主党という党を支持するというより、安倍晋三という政治家を信認していたということを示しています。

この日本国民が安倍ファンだった理由こそ、彼がミコトモチだったことにあると私は考えています。日本人の多くは、マスメディアのプロパガンダを信じることなく、自分自身の直観を持って、その政治家の本質を知っていたといえるのです。その対極にいたのが、現東京都知事で、人を見る目がなかったと伝えられる安倍晋三ですら、その危うさを理解していたのでしょう。自分に党内ポストのないことに気付いた彼女は、東京都知事への転進をはかり、そこにほとんどのマスメディアが乗って、都民に大ブームを起こしました。しかし、そこにあったのは、私心であり、日本と日本人を愛する心ではなかったのです。
一般に、上昇志向の強い人間は、目的のために、すべてを犠牲にすることをいといません。自分自身の人生の目的が、内閣総理大臣という人間では、その地位に就いた時に、日本と日本人のために何を為したいのか、というヴィジョンは持ち得ないのです。
人間というのは、普通、このようなものなのです。それに対し、ミコトモチという天命を与えられたタイプの人間の発想は、自分に与えられたテーマを現実化することこそ、自分に課せられた仕事だというもので、その地位になった時から先のヴィジョンが、あらかじめあるのです。
日本では文化的に、能ある鷹は爪を隠す、として時が来るまで、目立たぬようにするところがありますが、こと、政治の世界だけは別で、自らの言葉で語り続けないと支持を得ることはできません。そして、残念ながら、ほとんどの政治家は、資質として、リーダーたる器を持ちません。
それが、明治以降、今日まで続く、日本の不幸の源なのです。
幕末から維新まで、江戸の側にも、薩長の側にも、多くの人材がいました。
その中には、ミコトモチといえる人材も多数いたのです。しかし、西南の役の後に、そのほとんどは生き残らず、千九百四十五年の敗戦に到り、二千十一年の大地震と津波、原発の事故という未曽有の危機の日本を、共産主義的イデオロギーに染まった政治家が、この国を終わらせようとしたタイミングで安倍晋三というミコトモチが立ったというのが、精神界から見た現代史なのです。
その安倍晋三が亡き後、自由民主党は、単なるリベラル政党となり、総理大臣になることと、人事をしたいという願望を持つリーダーでよしとする政党となりました。このタイミングで、飯山あかりというイスラム研究者を世に出そうとしている天の意志というものがあることを、公開することが、いまの私の使命ということなのです。「最終知識」には、イスラム教の祖となったムハンマドの情報もありますが、いまのこの世は、ムハンマドが伝えた終末期でもあるのです。
一神教の時代を終わらせて、次の地球文明を繋ぐために、日本がこれから働かねばならないとしたら、当然、そのための人材を天は配していると考えてください。
イスラム文化圏におけるその役割は、カイロ大卒を語る都知事ではなく、飯山あかりという女性研究者に託されている、それがミコトモチということです。

神紀四年(二千二十四年)四月十八日 積哲夫 記